タイ・ティワタ村の子ども寮支援活動について
関東学院六浦小学校 島田正敏
タイの古都チェンマイから南西に300キロ。車で約6時間走った山岳地帯に少数民族のカレン族が住むチパレ地方があります。約40の集落が点在し、カレン語を話す人々が高床式住居で暮らしています。学校は中心部のティワタ村にしかありません。学校まで歩くと、近い子で4時間、遠い子は2日かかります。そのため多くの子ども達が学校に通えませんでした。1992年、カレンバプテスト連盟の牧師であるダウ先生が、ティワタ村に寮を建てました。寮費は一ヶ月 100バーツ(約300円)です。28名の子供たちがいましたが、寮費を払えない親が多くて運営できない状況になりました。
1994年、チェンマイ在住の日本バプテスト同盟宣教師の大里英二先生(元関東学院六浦中高教諭)から連絡があり、私たちは現地を訪問しました。寮は一棟だけでした。屋根は、木の葉を集めて竹で刺したものを乗せ、床は竹を敷き詰めただけでした。部屋の真ん中を竹で区切り、男の子と女の子が生活していました。寮には電気がなく、車のバッテリーに蛍光灯をつないで、その下で勉強をしていました。
冬は零度近くになるのですが、子供たちに冬の衣服はなく、夏服のまま生活していました。夜になると気温が下がり始めますが、子供たちは毛布がないので、体を重ね合わせて寝ていました。食事は、辛いスープにご飯だけです。スープの具は、子供たちが育てた野菜でした。しかし野菜がないときは、みんなで山の中へ行き、食べられる野草を取ってきて具にしていました。バナナの木の芯の部分も貴重な食料品です。子どもたちは、小学校や中学校を卒業するとみんな村に帰って農業をしていました。高校に進学する生徒は一人もいませんでした。
2009年に学院創立125周年記念事業として生徒8名を日本に招待しました。生徒たちは日本の現状を見て驚いていました。帰国後には、来日した全員が大学や専門学校、神学校に進学しました。彼らは、奨学金を受給したり、アルバイトをしたりして経済的には苦しい学生生活を送りました。しかし現在は、教員、看護師、エンジニア、宣教師、日本語通訳として活躍しています。彼らの活躍を身近で見ている寮の後輩たちの学習意欲は、非常に高くなりました。今は寮の食堂で、薄暗い中で勉強している子供たちの姿を毎日見ることができます。子どもたちは、勉強することで新しい未来が開けることを知りました。
◎六浦小学校の主な支援活動を紹介します。
【1994年】
この年から教員が毎年現地に行き、毛布、古着、医薬品、食料、献金などを届け始めました。

初めての寮生(1994年)
【2003年】
本校からの献金で女子寮が完成し、「第1回タイ訪問団」として森島牧人教授(兼校長)と3人の児童・保護者がティワタ村に行き、カウナムカオ教会の寮の献堂式に参加しました。

献金で建てた女子寮(2003年)


【2005年】
本校礼拝堂とチェンマイのバプテスト連盟会議室をネットで繋ぎ、同時生中継でクリスマス会を行いました。寮の子供たち十数名がティワタ村から来てくれました。またチェンマイにある「愛の家」(エイズの子供たちの収容施設)の子供たちも来てくれました。「きよしこの夜」の1節をタイの子供たちが日本語で歌い、2節を本校の児童たちがタイ語で歌い、3節はそれぞれの母国語で歌いました。
【2006年】
「関東学院サービスラーニングセンター」を、カウナムカオ教会に寄贈しました。

【2007年】
この活動を記録したビデオは、外務省主催「第3回開発教育/国際理解教育コンクール」に入選しました。また子ども寮の食事風景の写真(※)は、第4回コンクールで「国際協力局長賞」を受賞、第5回コンクールでは「学校賞」を受賞しました。

【2009年】
創立125周年記念として寮に車を寄贈ました。

また関東学院125周年創立記念式典に寮の生徒8名、ダウ牧師、ソムサック寮長、通訳のオップさんを招待しました。

生徒たちは、ホームステイをしたり、海に遠足に行ったりして交流を深めました。
【2016年】
「第15回タイ訪問団」がティワタ村を訪問しました。児童3名と保護者、卒業生3名、教員4名、学院職員1名が参加しました。過去最年少の大石 雫(1年)さんは、交流会で「おどるポンポコリン」を元気に踊りました。

この寮は28人から始まりましたが、今は138人の子どもたちが学校に通っています。しかし、まだたくさんの子どもたちが、学校に行きたくても行けない状況です。カレン族は、独自の文字と言語を使います。子どもたちの親は、タイ語を理解できません。子ども達がタイで生活していくためには学校でタイ語を学習しなければなりません。
タイの子ども寮支援活動は、このような歴史を経ながら活動を継続しています。