あるミャンマー人の証言
ミャンマー(旧ビルマ)からクーデター直前に脱出した男性と偶然に知り合いました。その初老の男性は明るい陽射しが降り注ぐカフェのカウンターに座って、緑の濃い庭を眺めながら「日本の平和は貴重です。多くの方がそれを知らないけれど」とはっきりした口調で言った後に自分の経験を問わず語りに話してくれました。
その話を始める前に、ミャンマーの基礎知識を少し。ミャンマーは旧ビルマ。現在60歳以上の方にはこの国名の方が馴染みがあると思います。市川崑監督の「ビルマの竪琴」という名作もありました。
ミャンマーはタイの西側に位置し、ラオス、中国、インド、バングラデシュとも国境を接しています。面積は日本の約1.8倍。人口は約5140万人(2014年計測)。多民族国家で135の民族が暮らしています。
宗教は仏教が主流で世界遺産に登録された遺跡も多数存在します。また、さまざまな民族の間でキリスト教も信仰者を増やしています。平和的な国家として知られてきました。
そのミャンマーで突如軍事クーデターが勃発したのが2021年2月。非常事態を宣言。クーデターは時限的な措置と発表。軍事クーデターに抗議する市民に武力を行使し制圧にかかりました。今も市民たちはデジタル通信やプラカードを平和的に活用して抗議を続けています。2023年2月非常事態宣言を延長しました。
クーデター後、約2900人の市民が死亡し、約110万人が家を追われ、子どもたち約400万人(子供たちは約800万人と推定される)が学校に通えていない。
私たち日本人に知ってほしいことはこのクーデターに抗議している私たちの仲間もいることです。その一例をご紹介します。ミャンマーのクーデターを取材していたジャーナリスト長井健司さんが取材中に亡くなっています。また、もう1人取材中に拘束されたジャーナリスト久保田徹さんは2022年に解放されました。
閑話休題。
ミャンマー人の初老の男性の証言に戻ります。
「信じられませんでした」目の前でバリケードが築かれ、兵士たちがライフルを構えている後ろから戦車の砲塔が睨みつけている。その光景が信じられませんでした。友人たちに手を引っ張られるようにしてそこから逃げました。
人権問題や平和推進活動に携わっていたため脱出を強く勧められました。幸い日本の団体が招待してくれて日本のビザも取得でき単身で日本に渡りました。今は平和に日本で暮らしながら人権や平和についてさまざまな活動を行なっていますが、いつも頭から離れないのはミャンマーに残してきた家族の姿です。毎日、電話で話していますが盗聴される可能性もあり批判的な発言はできません。家族の話だと停電が多く日に4時間ほどしか電気を使えないそうです。それにネットも繋がりにくく時には遮断されることもあると。物価は高騰、経済システムも壊れて、医療は崩壊、学校の教育システムも正常に稼働していないようです。この軍事政権下で日々犠牲者が増え続けているという話も聞きました。
幸いなことに日本の若者たちは「日本にできることはないか?」と尋ねてくれます。ミャンマーへの関心が薄れていない証拠だと考えるようにしています。
私はこの経験を通してさまざまな場所でさまざまな人々にこうお願いをしてきました。「ミャンマーで起きていることに関心を持ち続け、知ったことを人々に伝えて頂きたい」「ミャンマーからの難民を受け入れやすい体制を一緒に考え、一緒に行動して頂きたい」「国際NGOなどの活動に協力してミャンマー市民に直接届く物資への支援を続けて頂きたい」私の声が届くことを期待してあなたに話しました。暖かく柔らかい陽射しがふりそそぐカフェで平和を享受していることに罪悪感も感じます。
そう言うと初老の男性は握手を求めてきました。その手は温かく力強かった。しっかりした足取りで明日に向かう初老の男性の背中をいつまでも見つめていました。ミャンマー人、ガンバと思いながら。